by koechel581
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妻と私の母親どうしの接点は、佐藤忠良氏以外にもあった可能性がある。
しかも、佐藤氏を介した二人の接点は時代が隔たっていたが(戦前の佐藤氏と私の母、戦後の佐藤氏と妻の母)この場合は同時代の可能性があるのだ。 その接点となり得たのは、私の母とおなじ時期に目白に住んでいたヴァイオリンの諏訪根自子氏である。 当時まだ10代。天才少女と騒がれ、その後ナチス時代のドイツに渡ってヨーロッパで活躍した。 諏訪氏は東京生まれだが、両親は、ともに私の母&祖母と同郷(山形県の庄内地方)の「上京」組だった。 実家もそれほど遠く離れてはいない。そんな諏訪一家が目白に越して来たのである。 諏訪氏の母親は酒田市の女学校に通い、一時は声楽家をめざしていた。私の母も一世代遅れて酒田市で声楽を習い、後に音楽の教師になった。 諏訪氏の父は資産家の家系だったので(実家は鶴岡市で、先ごろ山崩れがあった集落の近く)、前述のような叔父の援助云々があったとは考えられないが、同郷のよしみで互いに知らない仲だったとは考えにくい。両家には共通する話題も多かったはずだから交流があったことは十分に考えられる。 仮にそうだったとしたら、母は諏訪根自子嬢と年齢も近く、一緒に遊んだりした可能性もなくはない。 一方、私の妻の母(義母)は少女時代、ほぼ同い年だった諏訪根自子嬢と一緒に鎌倉の海で海水浴を楽しんでいるのだ。 義母の話では、作曲家だった義母の父親(私の妻の祖父)の所に、諏訪嬢が楽典を習いに鎌倉まで通って来たという。 諏訪根自子氏を介した以上の接点には多くの「if」があり、また、目白の母一家を諏訪氏が知っていたとしても、「知り合いを3人辿れば日本中の人とつながる」類の話かもしれない。 でも、妻と出会った時には思いもよらなかった物語を今こうして紡ぐことができるのは、やはり奇縁と言うべきだろう。
by koechel581
| 2023-01-12 21:03
| @山小屋・その他
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