「軽井沢には蛇は少ない」と聞いたことがある。実際、週末とはいえ軽井沢に通い出してからこれまでの10年間で、蛇を見たことは4回しかない。
なぜそれほどはっきりした数字が言えるのかというと、森羅万象のなかで蛇という生き物が私は最も苦手で、それに遭遇した記憶は長く消え去ることがないからだ。
妻と散歩しながら「去年この辺りに蛇がいたんだよね」と言うと、「よくいつまでも覚えてるね」と呆れられてしまう。
呆れられついでに、軽井沢で私が蛇に遭った場所を列挙すると……レイクガーデンの石橋、小屋に行く道の途中、離山の山頂、南ヶ丘の別荘造成地の4箇所。山の中に小屋があり、草深い軽井沢のあちこちを歩き回って来たことを考えると、たしかに軽井沢に蛇は多くはない、とは言えそうだ。
小屋を手にしたとき、お恥ずかしいことに、私の一番の心配事は蛇だった。
ネットには「知り合いの別荘は壁の節穴から蛇が顔を出す」とか「建物に木の枝がかかると、枝を伝って蛇が建物に入り込むので伐った方が賢明」などとリアルなことが書いてある。
ネットだけではない。堀辰雄に関する本を読んでいたら、彼の別荘の天井裏に蛇が巣くっていた、なんていう記述が目に留まった(堀辰雄は蛇嫌いだった)。おまけに、小屋の前の持ち主が切り抜いた新聞記事が冷蔵庫の横に貼ってあるのを見たら、マムシに噛まれた時の応急処置法の記事だったりして……こうなると、仮想現実の世界で妄想が際限もなく膨らんでいくのを止めることは出来ない。
最悪のシミュレーションは、小屋の玄関へのアプローチの途中で蛇がウネウネと寝そべっていること。もっと最悪なのは、玄関のドアを開けたら居間から蛇がゾロりと這い出した……なんて、こう書くだけでも鳥肌が立ってくる。
妻は蛇がまったく平気である。で、一緒に小屋に来たときなど、こんなことを言う。
「階段(うちは土の階段)のところに開いている穴、あれ何の穴なの?」
また余計なことを……、「カエルかネズミに決まってるだろうが」と言うと、
「そう~~~?」
顔が笑っている。こちらは真顔だ。
じつはピッキオ(軽井沢・野鳥の森のレンジャー)のブログで、「ジムグリなどの蛇はネズミなどの穴に潜り込む」と書いてあるのを見てしまっていた。
「弱ったなぁ、小屋を買ったはいいけど、蛇が怖くて寄り付けませんでしたなんて、洒落にもならない……」
しかし結果は、冒頭の通りである。「悩むより慣れろ」というのは本当だった(ウソです。「習うより慣れろ」が本当です)。
「いるか?いるか?」とビクビクしているときに蛇に出会うことはほとんどない。何度も小屋に通ううちに「いる現実」よりも「いない現実」の方に次第に慣れてくる。慣れによって憂いを閉じ込めてしまうことは出来るのだ。
そのうちに「いたらいたで、その時のこと」と思えるようになって来た。
思うに、これが普通の人の蛇に対する平均的な感覚なのだろう。やっと人並みに近づいたということか。