by koechel581
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碓氷軽井沢インターチェンジから軽井沢に入る現在の自動車道路は、どのように作られたのだろうか?
このあたりの地図を時代を追って見ていくと、いろいろ不思議な移り変わりがあることに気づく。
南軽井沢から現在のICがある恩賀の集落まで、いまとほぼ同じルートに道が現れるのは、下の1966年の地図。 ただし、この道はまだ山道だと思われる。軽井沢側は現在の72ゴルフ場の東コースを横切り、プリンス通りの直線道路につながっている。 その7年後、1973年の地図を見ると、この山道は太くなり、地図上からは車が通れそうな道になった(群馬側の道は蛇行している)。 それにしても、20年も前になぜ? 手回しが良すぎやしないか? 5年くらい前でも十分に間に合ったのでは? というのも、恩賀へは和美峠経由の道が古くからあるので、生活道路としても新道をつくるメリットはなく、事実、この道はその後(20年間!)ほとんど「塩漬け」同然だったように見えるのである。 その証拠が、上記よりわずか2年後の1975年の地図(下)。プリンス通りとの連絡が途切れてしまっている。迂回する道も見当たらないので、軽井沢とのルートが遮断され、道だけ取り残されてしまった。 同時に、和美峠からプリンス通りまでのルートが、現在と同じ、押立山をまわるルートに変えられた(それまでは今のゴルフ場の湿地帯を突っ切るルートだったのが、南に下がった)。 せっかく手回しよく20年も前に道を作ったのに、開通後にそれを取り壊し、新しく現在の道を作り直している(勾配を緩くするためにカーブが多くなっている)。 参考までに、現在の地図も掲げる。 だとしても、利益第一の民間企業が(ましてや、あの西武グループが)何の目的で? ちなみに、この道路のほとんど(少なくとも長野県側)はプリンス系列(西武グループ)所有地の中を通っている。ひょっとして、自社の土地にインターチェンジからのアクセス道路を通すための方策だったのか、とも勘繰りたくなる。
by koechel581
| 2017-06-24 18:21
| 軽井沢の歴史
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