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北軽の浅間牧場から見る六里ヶ原の大パノラマ。
![]() ![]() ![]() ![]() 「六里ヶ原」という地名は、北軽に初めて来た時よりずっと前に、若山牧水の「水上紀行」で知った。 終に一つの掘割みた様な所を通り過ぎると、嗚呼、どうであろう、其処には驚く べき広大な原野が忽然として見る眼も限りなく展開せられたのである。更に尚 どうであろう、其原の正面、空の色の真深いあたりにそれこそ神鎮りにしずまる 如く浅間が寂然として低く、手近く、うす黒く聳えていたのである。 牧水は前夜、群馬県の川原温泉に泊まり、翌日に吾妻駅から草津(草軽)鉄道で軽井沢に出るつもりだった。 ところが、早朝に長野原をめざして徒歩で発ったものの、当てにしていた馬車に乗れず、とにかく行ける所まで行こうと、羽根尾から吾妻川の険しい河岸段丘を登って六里ヶ原に達し、北軽井沢まで歩いてしまう。川原湯から長野原を通り、国道146号線、即ちいまのロマンチック街道を歩いたわけで、北軽井沢に着いたときは日が傾いていた。 寒き日を浅間の山は低くし見ゆ噴きのぼりたる煙の蔭に 六里ヶ原から見る浅間山は、牧水がいうように、たしかに寂然として低い。また、こちら側から見ると、お釈迦さまが寝ているような姿に見えることでも知られる。(下の写真、右がお釈迦さまの顔、左=浅間山がお腹) ![]() 牧水が歩いた頃(大正7年)は、「ただ一面の狐色をした草原で、その中を私の歩いている道が真直ぐに通じている」ような茫漠とした原っぱだったことが、当時の写真を見ても分かる。その風景は、北軽を舞台に戦後すぐに作られた映画「カルメン故郷に帰る」で見る風景ともそれほど変わりがない。現在は、街道を一つ横道に入ると、牧場と森、高原野菜の畑が交互に展開する。 ![]() ![]()
新幹線から眺めた今日の浅間山……。
![]() 野鳥の森近くの某所から眺めた浅間山……。 ![]() どこか変だと思われた方……、鋭い! 実はこの山、イタリアのヴェスヴィオ火山なのです! 会社でネットをググっていて見つけ、あまりに似てたのでつい興奮しました。 2枚目の画像と下のホンモノとを比べてみて下さい。 ![]() ただし、2枚目の画像は実は左右反対に変換してあります。正しくは下のようになります。これでも充分似ていますが。 ![]() ヴェスヴィオ火山は均整がとれた成層火山だとばかり思ってましたけど、見る角度でこんな風に見えるんですね。最近、近々噴火するのではないかと噂になってるそうですが。
ピッキオのブログを開けたら、いきなり蛇(ジムグリ)がとぐろを巻いている写真が出て来て声を上げそうになった。これだからピッキオのブログは嫌いだ!(本当は大好きなのです)
軽井沢に蛇は少ないと聞いていたけれど、いないはずはない。でもこの目で見たのは、去年のバラのシーズン、わが別荘地の有名なガーデンで見た青大将一匹だけ。 蛇嫌いは、頭の中で蛇に出会う状況をいろいろに想像してますます蛇が嫌いになってしまう。最悪のシミュレーションは、足を踏み出したそこにウネウネっと寝そべっていることだ(こう書いているだけで、鳥肌が立ってきた)。小屋を手にしたとき、実はお恥ずかしいことに、しばらくこの妄想が離れなかった。 妻は蛇がまったく平気である。で、小屋に来た時など、こんなことを言う。 「階段(うちは土の階段)のところに開いてる穴、あれ何の穴なの?」 また余計なことを……、カエルかネズミに決まってるだろうが。 「えー、そう~~?」 冒頭のピッキオのブログには、「ジムグリはネズミなどの穴に潜り込む」と書いてあった。またまた余計なことを……!
小諸、佐久で桜は満開でも、軽井沢は所によってようやく開花が見られる程度。コブシがやっと咲き始めたぐらいだから、現在の桜前線でいうなら東北と北海道ほどの開きがある。
町の人に「梅はこれからですか?」と聞くと、「梅? うめは、まだ、ですよね?」と自信なさそうに答えた。花に興味がないのか、それとも、コブシもウメもサクラもいっぺんに咲き出すので順番など意識したことがないのか。 29日(日)の朝は発地の林を散歩。昨日と同じく気温が高いので日向を歩くと暑い。こうした木陰の良い道をたくさん歩いてみたいのだが、近場で探そうと思うと苦労する。 ![]() 小屋にいるあいだ、鳥が頻繁に来てくれた。 一番物おじしないのがゴジュウカラで、こいつは前に来ていたのと同じ固体だろう。カメラを構えても目と鼻の先で悠々とついばんでいた。 ![]() ほかにヒガラ、シジュウカラ、ヤマガラがやって来て、中ではシジュウカラが最も臆病そうに見えた。 林の向こうでミソサザイがいつまでも鳴いている。
連休最初の3日間を山小屋で過ごすべく27日(金)深夜に軽井沢入り。満天の星空に迎えられた。翌28日(土)は朝霧の中に明け、お約束どおりに快晴。
![]() 小諸の懐古園に桜見物に出かける。 そのついでに、昨年初めて訪ねて感激した佐久の長野牧場に寄ってみた。昨年来たのは4月24日で桜は八分咲きだったが、今年は満開と重なった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 初めての懐古園。花見客の多さに気遅れしたが、連休初日が絶好の花見日和と重なったのだから仕方がない。 ![]() ![]() ![]() ![]() 石垣の上から眺める桜はなかなかのものだった。 ![]() それにしても、市が管理するこうした公共の公園で入園料を取る例は、他にあまりないのではないだろうか?
連休の前半は山小屋泊まり、後半は実家に里帰りを予定しているため、今週のうちに庭の草むしりをしておかないと、伸び始めた雑草を3週間先までほったらかしにすることになる。午後から雨予報だったので、朝に一仕事した。
3年目のモッコウバラに、やっと蕾がついた。葉ばかりが繁り、いつも空しい思いで剪定していたことに少しは同情してくれたかな? 蕾の数は多くない。白い花、黄色い花? まだ分からない。 ![]() ツルバラも変わらずに咲いてくれそうだが、これから虫退治が始まる。 ![]() ギボウシが元気に葉を開いた。今年は遅い? ![]() 山小屋を持ってから自宅の庭の手入れがおろそかになりがちで、玄関前には土のままの鉢が数個。花を植えるのも3週間先になる。 ![]()
休日の朝はおだやかな雨。土ぼこりも花粉も、散り始めた桜のはなびらもみなそっと地上に舞い降りる。
庭のモミジが一斉に芽吹いたと思ったら今朝はもう新緑に包まれていた。いつもは見慣れた2階の窓からの景色が、この時期は特別なものになる。 どんなにささやかでも四季を感じられる窓があるのはありがたい。 ![]() ![]() (さいたまの自宅で)
小屋の庭に福寿草が一輪だけ小さな花を咲かせていた。前オーナーが植えたものなのかどうか……、昨年は見た記憶がない。
よく見ると、小さく重なった黄色の花弁が造花のようにくっきりとした輪郭を持ち、この上ない気品を感じさせる花だった。 ![]() 1週間前にリサイクルショップで見つけたソファを車に積んで、「今回こそは」と来たものの、最後の急坂にわずかに溶け残った雪のせいで、またも車を下に停めざるを得なかった。あきらめきれず、重いソファを肩に担いでボッカする。 狭いスペースになんとか場所をつくって二人掛け用のソファを置く。 前に一人用のソファを運んだとき、娘が妻に「あの小屋、どんどん“お一人様仕様”になってくよね」と言ったそうな。たしかに、ほっとくと「男の書斎」化していくことは必至。 ![]() 気温2度。夜はマイナス5度が予想され、水出しは次回からになる。 帰りがけに追分のMさんのカフェに寄っていろんな話を聞き、ツルヤで買い物をして帰宅。アビー・ビールと同じ値段(330ml・149円)のドイツビールを買って帰ったら、これがまた美味かった。
新年度がスタートした今日、築3年で入居者がなかった我が家の庭のツリーハウスにも、やっと下見のお客さんが夫婦(?)で訪れました。どうやら気に入っていただけたようです。あとはウチの飼い猫とどう折り合いを付けていただけるか?
![]() 自宅の近所でようやくコブシが咲き出しました。紅・白の梅はまだ見頃です。 ![]() 久しぶりに北本自然公園を歩きました。 ![]() ![]() ![]() ![]() 桜はまだつぼみも膨らんでいないのに、屋台や見物客が……。花の都合より人間の都合でこの日になったんでしょうね。 ![]()
昨日、軽井沢図書館から借りてきた本で思わぬ発見があった。(上原巌著『ジョン・レノンが愛した森 夏目漱石が癒された森』全国林業改良普及協会)
イギリスに留学した夏目漱石が、帰国前に英国人の名士の招待を受け、スコットランドにあるその名士の館に滞在して2~3週間を過ごしたというのだが、その名士の名前がジョン・ヘンリー・ディクソン。本の中でJ.H.ディクソンは親日家の弁護士で、「日本にも1897年に滞在をして、日光などを訪れながら、美術工芸品も収集している」と紹介されている。 軽井沢の歴史を知っている人なら、ディクソンと聞けば、明治19年にアレキサンダー・クロフト・ショーと一緒に和美峠を越えて軽井沢を「発見」したあのディクソンがすぐに思い浮かぶ。しかし、こちらのディクソンはジェームズ・メイン・ディクソンで上記J.H.ディクソンとは異なる人物だ。 ところが、ジェームズ・メイン・ディクソン(以下「軽井沢のディクソン」)はスコットランド人で、東京帝国大学のお雇い英語教授として夏目漱石を教えている。つまり、この二人のディクソン氏には「スコットランド」と「漱石」それに「滞日経験」という三つの接点があるのである。両者には何か関係があると考えるのは自然だ。 いろいろ調べてみたが、「軽井沢のディクソン」の方は両親や兄弟まで判明したものの、J.H.ディクソンとつながる何の手がかりも得られなかった。一方のJ.H.ディクソンの方は、生前の業績などは分かったものの、家系について触れたものをまだ探すことが出来ないでいる。 結局「なあんだ!」という話ではあるが、これをきっかけに、自分の中で「軽井沢のディクソン」の存在感がぐんと高まった。 ショーが避暑地・軽井沢を「発見」したことについては、巷間大きな誤解がある。 それは、ショーをスコットランド人(あるいは英国人)だとして、軽井沢の自然や景観が「故郷のスコットランドによく似ていたことから、この地に強く惹きつけられた」という誤ったストーリーである。ショーはカナダのトロントに生まれたカナダ人なので、彼の原風景にスコットランドはないはずなのだ。 では、なぜ「ショー伝説」にスコットランドが出て来るのか? すでにお気付きのように、ショーに同行したスコットランド生まれのディクソンが「ここは故郷に似ている」と思い、人々にそう語ったからだろう。その後数年してディクソンは日本を離れてしまったので、この分かりやすい言葉がショーのものとして広まってしまったものと思われる。 では、軽井沢は本当にスコットランドに似ているのか?(ここからはジョーク半分です) 似ているのです。少なくとも、この本に出てくる漱石が滞在した(J.H.ディクソン氏の館がある)ピトロッホリーという町の風景は……、下がその町の風景(同書から転載)。 ![]() どうでしょうか? 軽井沢の駅から見た離山と、その向こうに雪をかぶった浅間山……といわれてもおかしくないようなこの景色。 もう一枚は、浅間山の麓にひろがる千ヶ滝地区と見まがう景色(実際にもこれはカラマツとモミの混交林だそう)。 ![]() ジョーク半分だと言ったのは、「軽井沢のディクソン」が訪れた当時の軽井沢と現在とは風景がまるで違っているので、単純に比べられないからだが、町の風景があまりに似ていたので紹介してみた次第。 避暑地・軽井沢を発見した恩人はショーではなくディクソンだ、という説は大正時代の頃から根強くあったらしいことが、宮原安春の『軽井沢物語』に紹介されている。 そこまで言わなくても、「この風景はスコットランドに似ている」という有名なフレーズはディクソンのものである(らしい)こと、さらに、軽井沢とスコットランドを結ぶその縁に、意外にも夏目漱石が絡んでくることなど、まだまだ軽井沢の歴史には面白いテーマが眠っていると思うのだが、いかがでしょう。 ※この本ではジョン・レノンと軽井沢との関係にも触れているが、せっかく夏目漱石の章でJ.H.ディクソンを紹介しておきながら、軽井沢の章ではショーを「スコットランド人」として「その風景が故郷のスコットランドと似ている」と書いているのは非常に残念。私にしたら「宝の山」を自分の手で葬ってしまったように思えます。
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