by koechel581
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by koechel581
| 2024-02-14 22:01
| 野の記
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まさに激動の年明けで心が傷むなか、大晦日から正月三が日にかけて、わが家が手にした小さな「吉」の話です。 一つは「除夜の鐘」。 新居で年越しを迎え、近所のお寺に初詣に出向くも、田舎のためか参詣者は少なく、除夜の鐘を撞く人もまばら。 「何度も叩けます」というので、撞いては戻りと、4回も除夜の鐘を撞かせてもらうレアな体験をした。 しかも最初にいただいた順番の札が、私の年齢と同じ数。 百八つ目の煩悩を消し去る鐘を聴き届けたのも、これが初めて。 もう一つは「抽選クジ」。 秩父の宝登山にお参りに行き、ロープウェイに乗って山頂の小さな動物園へ。 入園料500円のチケットで抽選ができるといわれ、ガラガラポンとやったところ、2等賞のクッキーが当選! つづいて妻が「クジ運は悪いから」と言いながらガラポンを回すと、コロンと金の玉が転がり落ちた。 「うわッ、出ました! おめでとうございます!」 ガランガランと鐘を振る音にお店のスタッフたちも飛び出して来て、みんな大騒ぎ。 妻にとっては初めての一等賞。 突然の幸運に狼狽した妻も、すぐに期待のまなざしをスタッフに向けた。 そして、「おめでとうございます!」と改めて祝福を受けながら手渡されたのは、下の写真の品。 二人のあいだに一瞬、微妙な空気が流れる。 ちなみに、この動物園の売りは猿と鹿。 ラマが一頭いるものの、他には山羊や兎、それに青大将やヤマカガシなどの蛇や昆虫類など、失礼ながら、居ながらにして「資源」調達が可能と思われる動物ばかり。 妻は、さて、これで今年の運を使い果たしてしまったのだろうか? #
by koechel581
| 2024-01-07 16:51
| @山小屋・その他
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わが家の庭のミカンが食べごろを迎えた。
ちょうど花が咲き始めた時期にこの家に引っ越し、収穫できる日を楽しみにしていた。 品種は不明だが、温州ミカンである。 サイズはSSサイズ。皮は少し硬いが、味はギュッと濃く、とても美味しい。 これまで、庭木のミカンは夏ミカンしか知らず、温州ミカンはそうした産地でしか育たないのだと思っていた。 だから、色づいた最初の1個をもいで妻と半分に分け、口に入れてみた時は二人で感動した。 埼玉県の県央部に近いこの辺りは晴天率が高いそうで、だからか、ご近所の民家には様々なミカンが植えられ、農家の路地売りにもミカンが並ぶ。 わが家にはもう1本、文旦も植えられている。大きくて重そうな実が鈴なりで、それがいま黄色くなり始めた。 先日、この家を建てた前オーナーが用事で訪ねて来たとき、帰り際に…… 「文旦、獲りに来てもいいですか?」 よほど美味しいに違いない!
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by koechel581
| 2023-12-09 21:38
| @山小屋・その他
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小諸の布引観音は、軽井沢に小屋があった頃から行きそびれていた場所。
千曲川が渓谷をなす一帯の紅葉も良いだろうと、昨日、足を運んでみた。
ここの観音堂は、御牧ケ原の台地が千曲川に沿って切れ落ちる懸崖に建っている。 垂直の岩、そこに張り付くように建つ、朱色の柱がひときわ鮮やかな社殿。巨石に囲まれた暗くて急な山道を20分ほど登ると、この南画のような光景に出会える。 今回、佐久市から小諸、東御市にかけた千曲川沿いの渓谷を初めて車で走ってみたが、私好みの絶景スポットの連続だった。渓谷の先にいつも北アルプスの峰が白く輝いていたのも忘れられない。 #
by koechel581
| 2023-11-23 10:41
| @山小屋・その他
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指揮者やピアニストの演奏寿命が長いことは知られている。 一方で、肺(安定した息の力)を動力源とした管楽器奏者は「老い」が演奏に現れやすく、一時代前までは70歳を超えてバリバリ現役で活動する人は少なかった。 ところが最近は74~75歳の団塊の世代を中心に、古希を過ぎてもオーケストラや室内楽などで活動を続けている人たちがたくさんいる。 人間の平均寿命が延びるのと軌を一にして、演奏家全体の活動寿命も年々延びていることは間違いない。 (ちなみにシカゴ響の首席トロンボーン奏者ジェイ・フリードマンは今年84歳。クラリネットのカール・ライスター、フルートのルーカス・グラーフは、それぞれ80歳と90歳を過ぎてCDをリリースした。) プロがそうなら、アマチュアはどうだろうか? 私見では、アマチュアはレベルの差が激しく、身体の使い方や楽器を操る能力が基礎的なレベルを超えていない人が「演奏寿命」を云々するのはナンセンスに思える。 「そうは言っても、最近、体力が衰えて音がふるえるようになった」 という人の場合、より適切な練習を重ねれば、その歳になっても未体験だった音の安定感が得られることは十分にあり得る話だ。 限界まで鍛えて伸びしろが限られるプロはともかく、アマチュアでは(下手な人ほど)伸びしろの方が年齢による低下を上回る場合が多いと考えられるのだ。 と、ここまで書いてきて自分を顧みたとき、その「伸びしろ」も一律ではなく、まだまだ伸びると感じる部分がある一方で、年齢で衰える部分もあることは痛感する。 私は現在72歳。ときどきクラリネットを楽しんでいるが、基礎練習のおかげで絶対的に進歩したと思うのは、「音」と(息が続くことも含む)それに連動する「指」(確実性と技巧性)の部分。 しかし、瞬発的な反応(舌など)や速い歌いまわしは前よりも鈍くなり、実生活でサッサと歩かなくなったと似た症状を演奏にも感じるようになった。 先日、妻のヴィオラ、娘のピアノと一緒に遊びで合わせてみたのが、こちら↓。 曲はマックス・ブルッフの「クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲」。 プレイバックを聴く度に反省点を山ほど感じながら、それでも「少しは進歩している」という思いがあればこそ、楽器を続けようという気持ちも湧く。 怖いのは、その思いが「老害」に変わる時が来るのか、ということ。 「実例」を多く知っているだけに、妻はともかく、まだ若くて遠慮のない娘には「その時が来たらバッサリと引導を渡してくれ」と頼んでいる。(この演奏がもうその実例だったりして……!)
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by koechel581
| 2023-11-09 20:45
| 音楽一般
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